江戸時代の船遊び

江戸時代の船遊び

江戸時代の船遊び 江戸時代以前から屋形船なる言葉はありましたが、現在いうような船遊びのための船を指すのではなかったようで、今のように船遊びをする船として屋形船というようになったのは江戸時代からといわれます。
船遊びは江戸初期は、御座船を所有する将軍や大名だけが楽しめるものでしたが、太平の世になり都市や河川の整備が進むと裕福な商人なども船遊びを楽しむようになりました。特に江戸では夏になると大川(隅田川)に涼み舟が集まって賑わい、浮世絵に描かれたり、読み物の舞台になったりするほど有名でした。時代小説や映画などにも当時の様子が想像できるような密談の場所等として屋形船が使われています。
屋形船は1600年代中頃には船頭が18人も乗るほどの大きなものや、漆で鮮やかな朱塗りにしたり、金銅の金具できらびやかない装飾し贅を競うこともありましたが1600年代後半には幕府の倹約令により次第に小型化、質素なものとなっていきました。
また、武士以外は船に障子を立てることは禁じられていたために、町人達の使う船は船宿や料理屋が所有する、小型の船に四本柱と屋根をつけただけの屋根舟と呼ばれるもので、質素ながらも庶民が楽しめる粋で風流な遊びとしてもてはやされたようです。

戦後、屋形船が途絶えてしまった時期がある

戦後、屋形船が途絶えてしまった時期がある 屋形船は古くから日本にあり、平安時代頃からあると言われています。江戸時代には一般庶民の娯楽としても発展していきました。
またお金持ちの商人や大名、貴族などがきらびやかな装飾品を付け、大型で豪華絢爛なものを競い合いながら造っていたとも言われています。そういったことが余りにも過熱したため、お上(江戸幕府)からそういった豪華で大型の船を禁止するというお触れが出てしまいました。それによって豪華なものは姿をしたのですが、一般庶民が楽しむ小型のものは残っていったそうです。
しかし明治、大正と時代を下って昭和に入ると世界大戦が勃発し、それどころではなくなったのです。日本の各地が焼け野原になってしまい、一人一人がその日を暮らすのに精一杯だった戦後には風流なものを楽しむといった人はいなくなりました。そこで屋形船の文化は消えてしまったのかと言えばそうではなく、戦後70年以上経った現在では、大型のものが沢山運航されていて、花見や花火、宴会のシーズンには多くの利用客が楽しんでいます。